倉敷には、倉敷川畔重要伝統的建造物群保存地区、俗に美観地区という国選定の建造物群保存地区があります。保存地区は鶴形山の南ろくにあり、倉敷中央・阿知・本町・東町の四つの町内のそれぞれ一部が国選定の伝建地区に入っています。
鶴形山の周辺一帯は昔「阿知の潟」という浅海でした。一五八四年に宇喜多秀家による新田開発が行われ、一六〇〇年に備中国奉領となり、倉敷地域の始まりとなる倉敷村が生まれました。その後、幕府直轄地として物資輸送の集散地になり、周辺の新田地帯の中心地にもなったことで、人口が増え、経済が発展しました。
倉敷の代表的な景観では、新旧の瓦を合わさり、独特の風合いを出す本瓦葺塗屋造りの家や、漆喰を使った土蔵造りの倉があります。そういった伝統的建造物と大原美術館などの西洋建築が折り合わさることで、独自の文化を築きながら、まちを守ってきた先代の意志と共に未来へ受け継がれています。
● 赤線の枠内が保存地区(出典:国土地理院)
● 倉敷伝建地区の様子(阿智神社の祭りの日)
倉敷川畔重要伝統的建造物群保存地区(以下、倉敷伝建地区)は、日中は多くの人で賑わいますが夜はその姿を大きく変えます。深い夜になると人は誰ひとりいなくなり、街頭の光が倉敷伝建地区を照らし、幻想的な空気に包まれます。川畔ではお土産屋や飲食店などのお店が多いですが、夜はほとんどのお店が閉まります。
倉敷伝建地区に住んでいる人のお話によると、観光地として有名になる以前の倉敷は、今とちがい、桶屋や魚市場、八百屋など住民たちが暮らすための必要なものは大体そろう生活感が漂うまちだったそうです。また、お店の人もまちに住みながら商いをしていました。
この夜の倉敷を見ていると、今の倉敷は「観る」方が強いように思います。これからは、ただ商いをするだけでなく、暮らしを次世代に継いでいけるようなことが必要だと思います。
● 夜の倉敷の様子