町の人々の
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倉敷伝建地区は、伝統的建造物群保存地区とよばれている国指定の保存地区です。 保存地区は標高36.8mの鶴形山の南ろくにあり、指定地域は倉敷中央・阿知・本町・東町の4つになっています。 鶴形山の周辺一帯は昔「阿知の潟」という浅海でした。そこから1584年に宇喜多秀家による新田開発が行われ、1600年に備中国奉領となり、倉敷地域の始まりとなる倉敷村が生まれました。その後、幕府直轄地「天領」として物資輸送の集散地になったり、周辺の新田地帯の中心地にもなったことで、人口が増え、経済も盛り上がりました。 この時代背景の中で倉敷の代表的な景観の本瓦葺塗屋造りや土蔵造りが建てられていきました。また、その後は大原美術館や旧町役場など一部で洋風建築が建てられましたが、倉と見事に調和し、江戸時代から今日までの歴史の語り部となっています。