ここは明治二二年、倉敷紡績から機織り・イギリスのエンジニアがくるようになったため、旅館として経営を始めました。この建物自体は江戸時代(今から二八〇年以上前)から残っていたもので、蘭学の診療所からお米屋へとなり、い草の問屋を経て現在に至ると先代から伝えられてきています。 今回は代々受け継がれた吉井旅館の当主である永井さんにお話を伺いました。
倉敷のまちはピンポイントでの魅力ではなく、まちなみなどの全体に魅力があると思います。先代たちが自分のまちを愛しているからこそ、まちなみが今まで保存できていました。 また、今はまちなみのハード面と、大原さんたちの思いのソフト面も合わさっているところにも、より魅力を感じられますね。ハリボテのまちではなく、日々の営みがまちにはあり、それを受け継いでいきたいと思うし、繋げていくことがここに住んでいる私たちの責任だと思っています。
今の本町や東町など、なぜ今まで暮らしだけでなく、まちなみも残っているのか、それにはまちに対する情熱を持つ方がいたことが理由の一つだと発見できました。ただ暮らしを守るだけではなく生き生き育っているまちだという印象が強かったです。